半分青い 涼次の嫌悪感はどこから来る?リアリティのなさか?
2018年度上期NHK朝ドラ「半分、青い。」の涼次(間宮祥太朗)。
どこを見ても、涼次の評判が極めて悪い。
ほんまに涼次クソや、クソ男や
— みいたん (@ooeightxmoo) 2018年8月2日
涼次がクソすぎるんだが…
#半分青い— m_k_r_t (@mkrt90904584) 2018年8月2日
この嫌悪感はどこから来る?
勿論、テレビドラマは、「いい人」ばかりが出てくるわけではないもの。
ロクでもない人物が頻出するドラマで、大人気ドラマもある(むしろ、こちらの方が多いか?)。
例えば、ドクターX。
蛭間病院長(西田敏行)なんかは、始めから終りまで本当にしょうもない人間で、まさに「クソ」なわけだけど、でも、今回の涼次のそれとは質が違うはず。
嫌悪感はリアリティのなさから?
この「半分、青い。」はよく、「リアリティがない」と言われる。
半分、青い。
漫画家編が本職の人々から「リアリティがない」と云われながらも視聴者から泣けるだの心に滲みるだの喜ばれたのは、一般人の知らない世界で誤魔化せたからw このドラマは最初っからずっと「リアリティがないまま」w この脚本家の書くもの全部がそうなんだろ、25年間w— 脂肪肝 (@hyperuricemia) 2018年8月3日
ドラマで言う「リアリティ」とは…
特定業界の人から言われる「リアリティ」
特定業界の人から言われる「リアリティがない」は、「現実を見た目どおりになぞっていない」という話。
なので、視聴者一般が登場人物に自分との共通項を見出した時、「泣ける」、「心に滲みる」と感じることはあるはず。
「この人物にはリアリティがない」
それに対し、視聴者一般から言われる「この人物にはリアリティがない」は、
「表面上、そういう人がいるかどうか」の話ではなく、
「自分の中に、そういう要素を見出せない」
「自分が同じ境遇に置かれたとしても、そんな言動は取りようがない」
という話。
「ドクターX」蛭間病院長の自己中や虚栄心のようなものには、
「自分(=視聴者)の中にもきっとそういう要素はあれど、そういうものを否定しながら生きている」
と思わせるものがある。
簡単に言えば、不自然さがない。
涼次のリアリティ
「えっ、こいつありえねぇ…まじか?」って人は意外とリアルに存在してるんだよなあ〜〜涼次ってリアリティのないクズの詰め込みキャラみたいだけど、本物って結構あのまんまなんだよねぇ #半分青い
— ノスタル婆ア@ストリッパーのヒモになります (@piyopiyo___) 2018年8月2日
涼次の場合、「表面上、そういう人はいる」と言えないこともないのかもしれない。
だけど…
北川さんが涼次の離婚について「創作するためには家庭とかを犠牲にしなきゃやってられない。創作は罪。」的な事書いてたけど、仕事に没頭してつい家庭を疎かにしてしまうくらいなら分かるけど、娘の誕生日に唐突に離婚話して家族は邪魔なんて抜かすのは極端過ぎる。#半分青い反省会
— 雪国紅茶 (@afternoon_tea03) 2018年8月3日
「同じ人間として、自分の中にそういうものがあるかも…」と言えるか?
やっぱり、ちょっと無理なんじゃないか…という気がする。
しかも、涼次の場合、鈴愛の妊娠が明らかになった時、顔クシャクシャにして喜んでいたよね?
涼次「映画で成功して、家族に幸せをもたらす」
鈴愛・三叔母「みんなで支え合おう」
・・・という流れにならない理由が、
「創作するためには家庭とかを犠牲にしなきゃやってられない。創作は罪。」
では、
「不自然」
「脚本家のご都合主義」
「鈴愛と律を結びつけるための苦肉の策」
のように言われても仕方がないのでは?
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