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半分青い 涼次の嫌悪感はどこから来る?リアリティのなさか?

2018年度上期NHK朝ドラ「半分、青い。」の涼次(間宮祥太朗)。

どこを見ても、涼次の評判が極めて悪い。

この嫌悪感はどこから来る?

勿論、テレビドラマは、「いい人」ばかりが出てくるわけではないもの。

ロクでもない人物が頻出するドラマで、大人気ドラマもある(むしろ、こちらの方が多いか?)。

例えば、ドクターX。

蛭間病院長(西田敏行)なんかは、始めから終りまで本当にしょうもない人間で、まさに「クソ」なわけだけど、でも、今回の涼次のそれとは質が違うはず。

嫌悪感はリアリティのなさから?

この「半分、青い。」はよく、「リアリティがない」と言われる。

ドラマで言う「リアリティ」とは…

特定業界の人から言われる「リアリティ」

特定業界の人から言われる「リアリティがない」は、「現実を見た目どおりになぞっていない」という話。

なので、視聴者一般が登場人物に自分との共通項を見出した時、「泣ける」、「心に滲みる」と感じることはあるはず。

「この人物にはリアリティがない」

それに対し、視聴者一般から言われる「この人物にはリアリティがない」は、

「表面上、そういう人がいるかどうか」の話ではなく、

自分の中に、そういう要素を見出せない

自分が同じ境遇に置かれたとしても、そんな言動は取りようがない

という話。

「ドクターX」蛭間病院長の自己中や虚栄心のようなものには、

「自分(=視聴者)の中にもきっとそういう要素はあれど、そういうものを否定しながら生きている」

と思わせるものがある。

簡単に言えば、不自然さがない

涼次のリアリティ


涼次の場合、「表面上、そういう人はいる」と言えないこともないのかもしれない。

だけど…


「同じ人間として、自分の中にそういうものがあるかも…」と言えるか?

やっぱり、ちょっと無理なんじゃないか…という気がする。

しかも、涼次の場合、鈴愛の妊娠が明らかになった時、顔クシャクシャにして喜んでいたよね?

涼次「映画で成功して、家族に幸せをもたらす」

鈴愛・三叔母「みんなで支え合おう」

・・・という流れにならない理由が、

「創作するためには家庭とかを犠牲にしなきゃやってられない。創作は罪。」

では、

不自然

脚本家のご都合主義

鈴愛と律を結びつけるための苦肉の策

のように言われても仕方がないのでは?

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